東京二期会オペラ劇場《サロメ》アフタートーク採録

■多田羅 最後の最後、二人が去りますが、無かったはずの出口がそこにあった。それはどういう意味合いでしょう?

■コンヴィチュニー まさにご指摘の通り、出口はあったのですが、実際の舞台セットの中には、出口はなかった、その外にしか、出口はなかったわけです。

■多田羅 途中、小姓(この演出では女料理人)がサロメを殺す。そして、女料理人はサロメを解体し、人肉食を始めます。でも、そのあと、何事も無かったかのように、サロメは起き上がります。この意味は?

23,26日出演組GP(2/21撮影)から  Photo:M.Terashi

■コンヴィチュニー カニバリズム(人肉嗜食)は現代に存在しないと思われているかもしれませんが、実は、現代にも存在するのです。それは克服されたように見えているだけなのです。いま私たちは厳しい文化的なルールでカニバリズムを禁止していますが、こうしている今この瞬間にも文明化されたなかでそれは行われているのです。

 元々はキリスト教の儀式です。カトリックでは、聖体拝礼というのがあって、キリストの肉であるとしてパンをもらう。それは、元々の人の一部がほしい、その人になりたい、という欲望の表れです。そこでは、全員がサロメになりたい、と思ってサロメを食すわけです。

 直前、サロメはナラボートを説得して、なんとかヨカナーンを古井戸から出そうと試みています。女料理人をうまく利用して、説得しようとしています。ちなみに、シュトラウスの時代のズボン役というのは今とはまったく違う需要のされた方をしていました。それで、メゾソプラノが歌うズボン役の小姓を、あえて男性ではなく、本来の女性として、女料理人として登場させました。サロメは、女料理人を利用していますが、それはやってはいけないこと、行きすぎたことをしてしまっているわけで、それに対して、女料理人は復讐をしているわけです。それでサロメは刺し殺されてしまう。誤解のないように言いますと、実際にそれが行われたというのでなく、照明を変えることで超現実的、シュールな世界であるように表現したのです。

 もうひとつ、あの場面を作った理由があります。それは音楽です。本来ここは、ヨカナーンが古井戸から連れてこられる場面です。しかし、そこにはものすごく多くの音があり、長い時間の音楽がある。それはなぜなのか?ただ井戸から数段あがって連れてこられる、という以上に多くの音楽がそこには書かれている。そこで、そこに様々な広がりが見えてくるわけです。だったら、そこでそれ以上の何かを表現しなくてはならない。つまり、音楽から出発して考えたのがあの場面なのです。
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