東京二期会オペラ劇場《サロメ》アフタートーク採録


■多田羅 最初にこの舞台のコンセプトをコンヴィチュニーさんから聞いたときのことです。

 「閉ざされた空間、ヨカナーンは舞台上にいる、そして、テーブルのようなものがある。通常「小姓」は若い男の子なんだが、女料理人という設定にする」という話でした。

 閉ざされた空間が何を意味するか、それは閉塞状態、政治的にも経済的にも閉塞した、現代のわれわれの状態を意味しているのです。そのことは私たちもよくわかったと思います。風船が丸いお月様だったり、紙袋をかぶったのが古井戸を表しているというのも、おわかりになったと思います。

 ここにおかれたそうしたものは、どういうイメージで考えたのか、お聞きしたい。
 
 また、舞台を見ると『最後の晩餐』を思い浮かべるが、それと関係あるのか、ないのか、そのあたりもお聞きしたい。

■コンヴィチュニー 100年前なら出口はあると考えられたかもしれません。しかし、現代ではそれは妄想であることが私たちは実体験としてわかっていると思います。そこから出発して、テラスがあり、月が輝き、祝宴が繰り広げられているという「ト書き」から離れたわけです。

 ご指摘のように、あのテーブルは『最後の晩餐』をイメージしたものです。いままさに私たちが最後の晩餐をとっている最中だからです。5000年ほどになろうという西洋文明もそろそろ終焉を迎えようとしている。人類の歴史では、数千年という単位で文明が起き、そして、それが滅びる、ということを繰り返しています。まさに私たちは文明の終焉にさしかかっている。

 もうひとつ、いまの時代にあって残念なのは、シニカルさが先鋭化されている、嫌悪感も増しているということです。

 ト書きでは、美しい月夜の祝宴ということになっていますが、このような希望も何もない世界に置き換えることこそ、すでにシニカルなやり方ですね。月の代わりに風船を登場させるのも非常にシニカル、皮肉に満ちています。しかし、それは、閉塞状況下におかれたなかで、なんとか絶望を自分たちから追いやろうとする手段、楽しみのあり方だと思います。

■多田羅 赤い緞帳を途中閉める場面がありますが、そこにどのような意味合いがあるんでしょうか

23,26日出演組GP(2/21撮影)から  Photo:M.Terashi

■コンヴィチュニー 赤い緞帳が閉まるところは、すごくシンプルな意味なのですが、それまで行われていたことは、人間性が最低の低俗なレベルまでに落ちてしまっているために、もう見たくない、だから、そこで緞帳が閉まるわけです。
 一番最初にネクロフィリア(死姦)の後に緞帳が閉まりますが、そこではネクロフィリアを見せたいのでなく、閉まる際に女性が外に出されてしまいますが、それは「女性が排除」される、ということが大事なのです。

 「女性の排除」というのは、この数千年の西洋文明のひとつの軸なんです。かといって、それがこの作品でことさらテーマ化されているわけではありません。しかし、「女性を排除する」ということが、この作品のストーリーの前提条件なのです。そこから出発して、あのようなシーンになりました。

 緞帳はその後、もう一度閉じますね。2回目に緞帳を引くのはサロメとヨカナーンです。それは、それまでの古い制度から離れるという意思表示なのです。これは私の個人的な体験でもあるのですが、過去を全部背負ったまま未来に進むことはできない。前に進むためには、どこかで何かを捨てなければならないと、私は思っています。

 最後の場面、サロメとヨカナーンが「愛しあい、去る」というのは、シュトラウスが意図していたことだと思います。しかしながら、当時シュトラウスがそれを全面に出して書くことはできなかった、そうした上演はできなかったのかもしれません。なぜそう思うか?それはそのことが「音楽」に表れているからです。
続きを読む>>

  1 comment for “東京二期会オペラ劇場《サロメ》アフタートーク採録

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です