東京二期会オペラ劇場《サロメ》アフタートーク採録


 「音楽」「歌詞」「ト書き」その3つがまとめて違う文脈に置かれてしまう、ということが往々にしてあります。

 ドイツの言い方で「意味を維持するために、文字をいくつか変えなくてはいけない」という言い方があります。
 今回の例でもよくわかかると思うのですが、私が今回手を加えたのは、「ト書き」の部分だけです。その目的は、作品がもつ意味をよりはっきりとさせ、伝えるためです。シュトラウスが意図していたところを、今を生きている現代の私たちに、より明瞭に伝えるためです。

 この作品が伝えたい最も重要なことは、「人間のコミュニケーションにとって最も大切なのは“愛”である」ということです。それを理解してもらいたい。お金や権力の積み重ねがコミュニケーションの中心ではない、ということです。

 シュトラウスの生きていた時代、外見上は現在と異なっていました。20世紀初頭、それまでの制度がどんどん崩壊していきました。音楽しかり、あるいは、文学、古典的な物理学など、それまでのものが次々と壊れていったのです。そうした大きな変化を誰もが受けとめられるわけではありませんでした。そのために、精神的に大きな問題を抱えることにもなったのです。精神疾患のための病院のような、閉ざされた空間ができたのも、まさにこうした時代でした。

 そんな時代にあって、フロイトが登場したのは偶然ではありません。そうした時代だったからこそ、彼のような学者が必要で、彼が確立した心理分析、手法が必要とされたわけです。

 西洋文化における様々な矛盾というものが、先鋭化されたのもこの時代でした。そのなかで最も矛盾したことに「男女の関係」があったのです。そのなかで、手に取るように説明できるものとして「女性のセクシュアリティに対して男性が抱く大きな不安」があげられます。

 シュトラウスはサロメに踊りを踊らせます。覗き見主義的に、彼女が服を全部脱いだらどうなっているのだろうと考えることもできます。シュトラウスはサロメを脱がせて、そして、首を切られたヨカナーンに口づけさせます。それは、彼の生きていた時代の猥褻さを先鋭化し表現するために描かれたものだと思います。

 1905年当時、この作品は当時の聴衆にとって、それはそれは大きな衝撃でした。舞台で行われていることを観て、大ショックを受けたわけです。

 100年経った今、同じ舞台を観て、それだけで驚く人はいません。それこそが私にとって重要なポイントなのです。作品に対する忠実さ、という言葉がありますが、私のやっている仕事は作品にたいして忠実だと、私自身思っています。ただ、ここでの忠実というのは文字通りに、すべてを再現することではないのです。この作品に込められた挑発、初演当時の人々を驚かせたその挑発を、現代の私たちにどうやって伝えるか、ということを考えます。そのためには、当時とは違うやり方を使わなければなりません。
当時の人々にどれほどの刺激を与えたか、その中身こそを現代の人々にとって、別のやり方で示してみせる、別のやり方で形にしてみせる。それこそが、私が考える作品に対する忠実さです。

 この作品も矛盾に満ちています。描かれているのは、崩壊寸前の退廃的な世界です。非道徳的なことが行われており、人間らしさをみることはできません。そもそも意味すら存在すらしていません。それが、ヘロデの政治的な制度です。そして、そのなかに生きる少女は、そうした猥雑なことをすべて見、経験してきましたが、たったひとつ学ぶことができなかったのが、「愛」なのです。サロメは「愛」を知りたい、学びたいと思うわけです。

 一方では文化が存在しない、意味すら存在しない非常に危険な政治的な世界を極端な形で舞台上に表さなくてはならない、そして、もう一方では、サロメが持っている人間性、自身がどういう価値を持っているのか、それが私たちにとってどういう意味を持っているのか、ということを、はっきりと舞台上で見せなければなりません。

 私にとって、最後の15分間がこの作品の最も重要な場面です。そこでサロメが何を語っているのか、ということを考えてみます。

「もし私をみつめていたら、あなたは私を愛したでしょう」「あなたは私が恐いの?」「愛の秘密は死の秘密よりも大きい」

 世界初演から100年たったいまこの作品を上演するにあたり、最後にサロメ役の女性がお盆に載った首を前にこれを歌うのと、実際に生きているヨカナーンを前にして歌うのとではまったく効果が違ってくるわけです・・・

 とりあえず、ここまでにしておきますね(笑)
続きを読む>>

  1 comment for “東京二期会オペラ劇場《サロメ》アフタートーク採録

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です